坂田重保

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死没 (1984-01-06) 1984年1月6日(85歳没)
出身校 アングロ・チャイニーズスクール
職業 銀行家
さかた しげやす
坂田 重保
生誕 (1898-06-04) 1898年6月4日
日本の旗 日本佐賀県佐賀市諸富町
死没 (1984-01-06) 1984年1月6日(85歳没)
出身校 アングロ・チャイニーズスクール
職業 銀行家
受賞 文部大臣表彰(社会体育功労者)(1977年)
佐世保市名誉市民(1978年)
日本テニス協会功労賞(1983年)
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坂田 重保(さかた しげやす、1898年明治31年)6月4日 - 1984年昭和59年)1月6日)は、昭和時代中期~後期の日本銀行家親和銀行頭取を長年務めた。

現在の佐賀県佐賀市諸富町出身。旧制唐津中学校を経てシンガポールにあったアングロ・チャイニーズスクールを卒業後[1]、神戸の鈴木商店に入社。1923年大正12年)に同社の先輩であった北村徳太郎から招かれ、佐世保商業銀行に移り、為替課長、副支配人を歴任[1]

1939年9月、佐世保銀行と佐世保商業銀行が合併して、親和銀行が誕生すると、1942年に取締役に選任[1]。常務、専務、副頭取を経て、1960年4月に頭取に就任した[1]

銀行家には珍しい、豪放磊落で、親分肌の人物であり[2]、北村が政界に転じてからは、46歳の若さで副頭取に就いた坂田が、親和銀行の経営を仕切った[2]。坂田は、1984年に85歳で亡くなるまで親和銀行のドンとして君臨している[2]。この坂田に目をかけられたのが、東京大学法学部を卒業して、28歳で親和銀行に入行し、1989年12月に頭取に就任した辻田徹である[3]

頭取の傍ら、佐世保商工会議所会頭を務めたほか、鈴木商店入社前後から親しんだテニスの普及促進にも努め、長崎県庭球協会名誉会長も担った。

1984年1月6日死去、85歳没。

脚注

参考文献

外部リンク

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