坂田重保
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現在の佐賀県佐賀市諸富町出身。旧制唐津中学校を経てシンガポールにあったアングロ・チャイニーズスクールを卒業後[1]、神戸の鈴木商店に入社。1923年(大正12年)に同社の先輩であった北村徳太郎から招かれ、佐世保商業銀行に移り、為替課長、副支配人を歴任[1]。
1939年9月、佐世保銀行と佐世保商業銀行が合併して、親和銀行が誕生すると、1942年に取締役に選任[1]。常務、専務、副頭取を経て、1960年4月に頭取に就任した[1]。
銀行家には珍しい、豪放磊落で、親分肌の人物であり[2]、北村が政界に転じてからは、46歳の若さで副頭取に就いた坂田が、親和銀行の経営を仕切った[2]。坂田は、1984年に85歳で亡くなるまで親和銀行のドンとして君臨している[2]。この坂田に目をかけられたのが、東京大学法学部を卒業して、28歳で親和銀行に入行し、1989年12月に頭取に就任した辻田徹である[3]。
頭取の傍ら、佐世保商工会議所会頭を務めたほか、鈴木商店入社前後から親しんだテニスの普及促進にも努め、長崎県庭球協会名誉会長も担った。
1984年1月6日死去、85歳没。