坊城俊完 江戸時代の公卿。坊城俊昌の次男。葉室家21代、坊城家11代。正二位、権大納言。出家 From Wikipedia, the free encyclopedia 坊城 俊完(ぼうじょう としまた)は、江戸時代の公卿。 時代 江戸時代生誕 慶長14年11月27日(1609年12月23日)死没 寛文2年1月2日(1662年2月20日)改名 葉室頼豊→俊完→常空概要 凡例坊城 俊完, 時代 ... 凡例坊城 俊完時代 江戸時代生誕 慶長14年11月27日(1609年12月23日)死没 寛文2年1月2日(1662年2月20日)改名 葉室頼豊→俊完→常空官位 正二位、権大納言主君 後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇氏族 坊城家→葉室家→坊城家父母 父:坊城俊昌母:松倉重政娘兄弟 経広、俊完、小堀正春室妻 正室:岩倉具堯娘継室:織田尚長娘子 俊広、松崎俊章、中将院テンプレートを表示閉じる堂上家(家格は、名家、藤原北家高藤流勧修寺庶流)である、坊城家の11代当主。 経歴 参議・坊城俊昌の次男。母は豊後守・松倉重政の娘。正室は木工頭・岩倉具尭(岩倉家の祖)の娘。継室は、大和守・織田尚長(柳本藩主)の娘。実子に権大納言・坊城俊広など。 はじめ、権中納言・葉室頼宣の養子となって葉室家を相続し、葉室頼豊と称する。 元和2年(1616年)、坊城家10代当主の坊城俊直(後の権大納言・勧修寺経広)が、右兵衛佐・勧修寺教豊の養子となり勧修寺家を相続したため、頼豊が帰家し、坊城俊完と称した。 寛永9年(1632年)5月2日、参議。極位極官は、正二位・権大納言。 明暦3年(1657年)8月20日、出家し常空と号す。 系譜 父:坊城俊昌 母:松倉重政の娘 正室:岩倉具堯の娘 次男:坊城俊広(1626-1702) 継室:織田尚長の娘 男子:松崎俊章 生母不明の子女 男子:中将院 女子:新典侍(大典侍) - 後西天皇典侍 養女:伊賀子(長寿院) - 実は後陽成天皇第八皇子良純親王の娘、鍋島直能継室 末子 中将院 中将院は、坊城俊完の末子で、修験法を会得していた。 貞享2年(1685年)3月罪科不明のまま八丈島に流罪となった。当時、八丈島の樫立村では毎夜鬼が出没して、通りかかりの女、子供に悪ふざけをしていたが、中将院がこれを退治して諏訪に庁に鎮め祀ってから、その気配がなくなった。樫立村ではそれ以来、彼を神として尊崇してきたという。中将院の石室と呼ばれる墓が残されている。 関連項目 Summarize Fact Check 坊城家 葉室家 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks