坪井淳一
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坪井 淳一(つぼい じゅんいち)は、日本の音楽プロデューサー、アナウンサー、ラジオパーソナリティー、DJ。総合広告代理店及び芸能プロダクションである株式会社ファイ代表取締役社長[1]。
兵庫県尼崎市出身。
鹿児島県立錦江湾高校卒業後、獨協大学外国語学部フランス語学科に入学したが、1年後鹿児島大学を再受験し合格。美術科卒業(美学美術史専攻)。学生時代は長髪でハードロックバンド「キックス」のベーシストとして活躍。
鹿児島大学卒業後、成田空港国際線インフォメーションで通訳として仕事をしながら、東京アナウンスアカデミーでアナウンスを学ぶ。
福島放送(KFB)初代アナウンサーに合格。ニュース、スポーツ実況などを担当。
エフエム長崎に局アナウンサーとして移籍。アナウンサーとしてバラエティ番組をはじめ、趣味でもあったロックを仕事にしたいとロック番組のデモテープを作成(デモテープではナイト・レンジャーを紹介)。そのテープが当時の松下電器の宣伝部に届き、その後、坪井がエフエム長崎をやめるまで8年間スポンサーとして支えてもらう。ロック専門番組『ROCK TO ROCK』では趣味である洋楽のハードロックの紹介は勿論、多くの日本の尖ったロック・アーティストを紹介。当時のロック関係のミュージシャン(ルースターズ、LOUDNESS、ARB、ラフィンノーズ、ゼルダ、子供ばんど)等の多くのロックアーティストが坪井の番組にゲストとして参加するばかりでなく、ROCK TO ROCK主催のロックイベントを長崎公会堂や長崎平和会館、ブラックボックスシアター、ムーンシャイン、アマッセザボンなどの長崎市内ライブハウスなどで実施、ライブの模様をSEからまるまるオープンリールで収録し番組でそのまま丸ごと流し続けた。当時のリスナーの中には高校生だった福山雅治氏などがいる。当時交流のあったLOUDNESSの二井原実氏などアーティストは、2026年になった現代もラジオ関西で坪井がDJをやっている番組「ロックトゥアイドル」にゲスト出演しており、交流が続いている。
ロック色の強かった坪井であるが、局アナウンサーであったため、多くのワイド番組のDJとしても活躍、当時はアメリカンスタイルで、自らミキサーを操作しながら、レコードを回ししゃべるというワンマンDJスタイルを取っていた。ワイド番組には毎日のようにタレントや歌手が訪れ、坪井はインタビューに明け暮れる。特にアイドルが毎日のようにやってきていた為、アイドル業界でも有名になり、それが今につながる。当時ミスマガジンだった兵庫県姫路市出身のアイドル「吉田真里子」とは、彼女が高校生の時に坪井がレコード会社の担当者に「吉田真里子が今度デビューするんだが、修学旅行で長崎の平和公園に行っているので、ピックアップして長崎空港まで送ってくれないか」と無茶振りをされて、しかたなくマイクを持って、平和公園に着くと修学旅行生だらけで吉田真里子を探すのに大苦労。結局、担任の先生に見つけてもらい、無事長崎空港まで送り届けたエピソードがある。このことは数年後、坪井がKiss-FM KOBEのプロデューサーになった時、吉田真里子をDJとして起用するという縁へと継がる[2]。
FM長崎退社後、bayfmに移籍。当時、関東で起きていたJ-WAVEなどFM開局ブームに乗った形だが、「結局東京では何もなかった(生まれなかった)」として1年足らずで神戸のKiss-FM KOBEの開局スタッフとして採用される。
地元のKiss FM KOBEに移籍。福島放送、エフエム長崎、Kiss FM KOBEでは開局第一声を担当。Kiss FM KOBE移籍後はプロデューサーとして活躍。特に編成マンとしての才能を発揮。1日のタイムテーブルを時間とともに虹のように変化させる「レインボーレペルトワール(虹の編成)」を提案、構築。曲は完走、イントロには決してDJのコメントを乗せないという徹底したFM音楽至上主義を貫いた。開局時には、坪井の発案で世界中の同じKissの名前を持つFM局(ロンドン、パリ、ニューヨーク、ボストン、ロスアンジェルス)を廻り交渉、各局と提携を結ぶ。番組「Kissing The Glove」を放送。なお、それまではKiss-FMではなくFM Kissであったが、ジングルを作る際にFM Kissだとどうしても演歌になってしまうとして、当時の社長に「FM KissではなくKiss-FMに逆転させてもいいですか?世界にはKiss-FMという局が複数ある。できれば提携したい」と説得。社長からすぐ海外へ飛べと指示され1週間後に世界中のKissを含め海外FMとの提携の為、飛行機に乗る。
Kiss-FM はイベントも多発。毎週末土日祝日には、公開収録イベントを企画。坪井の芸能界の豊富な人脈を生かし、著名ゲストを参集。Kiss-FMのイベントに強い存在感を見せつけた。20年4ヶ月勤務し、最終的には取締役編成局長として経営幹部を勤めた。なお1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災時には、自転車で局まで数時間かけて到着。まともな放送ができていなかったことに憤慨し自らマイクの前に復帰し、震災災害情報を発信しつづけ指揮を取った。阪神・淡路大震災時は、壊れた局舎の中で、長期間に渡り、ジョジョ大谷とともにサバイバル情報を日本語と英語で伝えた。
Macintoshの愛用者でもある。古いMacを中心に33台を所有する。
2018年独立し、広告代理店&芸能プロダクションである株式会社ファイを設立。代表取締役社長に就任。ファイとはルースターズのアルバム「Φ」から起用し、どこにも属さないという意味があると言う。芸能プロダクションである「ファイ」は少数精鋭主義を貫き、当時アイドルをやめた元仮面女子 イースターガールズのメンバー瀬口こころの歌に聞き惚れ、プロデュース活動を開始。2年半で、アイビーレコードから2025年11月4日にフルアルバム「Blue Wind」で瀬口こころをメジャーデビューさせた。プロダクション「ファイ」には、ソロアイドルの希咲、役者の遠山氷依も所属している。
脚注
- ↑ “会社概要|姫路|株式会社ファイ”. PHY. 2024年7月30日閲覧。
- ↑ “エフエム長崎”. エフエム長崎. 2026年3月27日閲覧。
外部リンク
- 坪井淳一@アイドル音楽プロデューサー (@nigeldesbarres) - X(旧Twitter)
- プロフィール(株式会社ファイ公式サイト)