佐賀中学校より陸軍予科士官学校に57期生として入学(第12中隊第4区隊)も、神経衰弱のため陸軍病院に入院。保証人となった真崎甚三郎が見舞いに訪れている[3]。1年遅れの58期で卒業した(第5中隊第3区隊)[4]。終戦時少尉。
戦後は復員局に勤務するも1947年に公職追放を受け、同年10月設立の㈲佐賀薬品商店に入社。のち同社社長[5]。1962年の西部薬品㈱への合流後、取締役。また、福岡市の川口屋の取締役も兼ねる。1986年、ユニック代表取締役に就任。会長、相談役をつとめた。日本会議福岡の財務委員長も担当[4]。
2001年11月14日、腎不全により死去[4]。