城昌茂 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代生誕 天文21年(1552年)[1]死没 寛永3年7月2日(1626年8月23日)[2]別名 織部、織部佐 凡例城昌茂時代 戦国時代 - 江戸時代生誕 天文21年(1552年)[1]死没 寛永3年7月2日(1626年8月23日)[2]別名 織部、織部佐墓所 東漸寺 (熊谷市)官位 和泉守幕府 江戸幕府主君 甲斐武田家→徳川家康氏族 城氏 (平氏)父母 父:城景茂妻 長尾義景娘子 城信茂、女子テンプレートを表示 城 昌茂(じょう まさもち[3])は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。武田氏に仕えていたが、武田家没落後は徳川氏の旗本となる。小牧・長久手の戦い、大坂の陣に参陣。城景茂の子。 父城景茂と共に武田氏に仕えていた。天正10年(1582年)甲州征伐で武田家が滅びると、父城景茂と共に徳川家康に拝謁し、以後徳川家に仕えた。のち天正12年(1584年)小牧・長久手の戦い参陣、6000石の旗本となる。 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で奏者番(軍監)を務めたが、森忠政を諫められず、監督責任を問われ、近江国石山寺に寛永3年(1626年)まで蟄居となった。江戸に戻る途中、信濃にて死去。 陣屋は熊谷市石原にあった。墓所は東漸寺 (熊谷市)。 注釈 出典 ↑ 『戦国人名事典』新人物往来社、1987年、p.418。 ↑ 『熊谷人物事典』国書刊行会、1982年、p.197。 ↑ 平山 2015, 第4章 九度山での雌伏:1. 父昌幸の死:昌幸の晩年 参考文献 平山優『真田信繁:幸村と呼ばれた男の真実』(Amazon Kindle版)KADOKAWA、2015年。 小柏正弘、「城和泉守昌茂と小柏氏」、みなせ文芸 Related Articles