城野勝博

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国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県
生年月日 (1944-08-17) 1944年8月17日(81歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
城野 勝博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県
生年月日 (1944-08-17) 1944年8月17日(81歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1963年
初出場 1963年9月28日
最終出場 1969年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

城野 勝博(じょうの かつひろ、1944年8月17日- )は、佐賀県[1]出身の元プロ野球選手である。現役時代のポジションは投手

鳥栖工業高校では、1年生の時、エースとして1960年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、西九州大会決勝に進出するが、鹿島高宮崎昭二投手に完封を喫する。1962年夏にも西九州大会準決勝まで進むが、大崎高に敗退し、甲子園出場はならなかった[2]。卒業後、1963年広島カープへ入団[1]

重い速球と切れの良いシュートを主な武器とし、1年目から一軍で投げた。だが、好投しても打線の援護に恵まれない不運に多く見舞われた事もあって、本来の力を出し切れなかった。1967年に一軍初勝利、10月には大洋ホエールズを相手に初完封を記録するが、その後は低迷。

その後、1969年オフに国貞泰汎内野手との交換トレードで古葉毅寺岡孝とともに南海ホークスへ移籍[1]。しかしここではファーム暮らしに終始し、翌年途中で引退[1]

その後は、佐賀日野自動車でプレーした[3]

二軍では1965年、1967年にウエスタン・リーグの最多勝利投手のタイトルを獲得している[1]。また1965年8月19日の対阪神タイガース戦と、1968年9月24日の対南海戦ではノーヒットノーランを達成した。二軍戦において個人で2度のノーヒットノーラン達成は、イースタンとの両リーグ通じて史上初であった[4][5]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1963 広島 4000000--------388.0100300500222.251.63
1964 14300002----.0009421.0214151160112125.141.71
1965 13200002----.0009923.020113201000983.131.43
1966 12000000--------5611.11538003001075.732.03
1967 19931035----.37527066.05522011261117152.051.14
1968 20910013----.25027862.26592724253037365.141.47
1969 1000000--------102.041000000114.502.00
通算:7年 8323410412----.250845194.0190208666754288813.761.42

背番号

  • 58 (1963年)
  • 20 (1964年 - 1966年)
  • 46 (1967年 - 1969年)
  • 24 (1970年 - 同年途中)

脚注

関連項目

参考文献

外部リンク

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