城野宏

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城野 宏(じょうの ひろし、1913年8月31日 - 1985年12月21日)は、敗戦後中国共産党と戦い禁錮刑を受けた陸軍軍人で、のち評論家。

長崎県西山町生まれ。東京府立四中第八高等学校卒、1938年東京帝国大学法学部政治学科卒業、野村合名会社調査部に入社、同年徴兵され中国へ渡る。41年陸軍中尉、第1軍参謀部。河本大作の知遇を得て、山西省政府顧問補佐官となる。1945年の日本の敗戦後も、祖国復興・山西独立を掲げ、山西の独裁者閻錫山と手を結び、李誠の名で毛沢東が率いる中国人民解放軍と戦う。49年捕虜となり禁錮18年の刑を受ける(中国山西省日本軍残留問題撫順戦犯管理所[1]

1964年解放され帰国。67年『山西独立戦記』を刊行。69年城野経済研究所を設立。70年日本教育文化協会理事長、産業新潮社会長。75年スポーツ会館理事長[2]。体験と中国古典をもとにビジネス書、自己啓発書を多く執筆し、城野が証言として使った「三光作戦」「燼滅作戦」等の用語は本多勝一平岡正明藤原彰が描く中国での日本軍による残虐行為のネタ元となった。中国帰還者連絡会

著書

論文

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