城野宏
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長崎県西山町生まれ。東京府立四中、第八高等学校卒、1938年東京帝国大学法学部政治学科卒業、野村合名会社調査部に入社、同年徴兵され中国へ渡る。41年陸軍中尉、第1軍参謀部。河本大作の知遇を得て、山西省政府顧問補佐官となる。1945年の日本の敗戦後も、祖国復興・山西独立を掲げ、山西の独裁者閻錫山と手を結び、李誠の名で毛沢東が率いる中国人民解放軍と戦う。49年捕虜となり禁錮18年の刑を受ける(中国山西省日本軍残留問題、撫順戦犯管理所)[1]。
1964年解放され帰国。67年『山西独立戦記』を刊行。69年城野経済研究所を設立。70年日本教育文化協会理事長、産業新潮社会長。75年スポーツ会館理事長[2]。体験と中国古典をもとにビジネス書、自己啓発書を多く執筆し、城野が証言として使った「三光作戦」「燼滅作戦」等の用語は本多勝一、平岡正明、藤原彰が描く中国での日本軍による残虐行為のネタ元となった。中国帰還者連絡会。