堂町 金沢市の地名 From Wikipedia, the free encyclopedia 堂町(どうまち)は、石川県金沢市の地名。郵便番号は920-0000。 国 日本等時帯 UTC+9 (日本標準時)郵便番号 920-0000[1]概要 堂町, 国 ...堂町 町丁 堂町堂町の位置 北緯36度26分52秒 東経136度40分47秒国 日本都道府県 石川県市町村 金沢市等時帯 UTC+9 (日本標準時)郵便番号 920-0000[1]市外局番 076 (金沢MA)[2]ナンバープレート 金沢テンプレートを表示閉じる 概要 金沢市南部に位置している。一部が内川ダム建設にともない水没している[要出典]。 住民は、閉町により、全町あげて同じ金沢市内で三馬小学校下の横川町(当時)に集団移転した[3][注釈 1]。 歴史 江戸期 - 加賀国石川郡堂村が存在。 1889年(明治22年)4月1日 - 周辺8か村[注釈 2]との統合による内川村発足により内川村字堂となる。 1954年(昭和29年)7月1日 - 内川村の金沢市編入[注釈 3]にともない、金沢市堂町となる。 1970年(昭和45年) 1月23日 - 石川県庁内の知事室において、堂町の全28地主が内川ダム建設にともなう用地買収・補償について承諾・調印(補償総額は約4億7000万円)[3][4]。 10月5日 - 閉町式が行われる[3][7]。当時の人口は135人(28世帯)[5]。 小・中学校の学区 今日では、堂町は"廃町"の状態にあるが、仮に市立小・中学校に通う場合は、学区は以下のとおりとなる[8][9]。 さらに見る 番, 小学校 ... 番小学校中学校 全域金沢市立内川小学校金沢市立内川中学校 閉じる 住民がいたころは、内川小中学校の堂分校に通学していた。 中学校堂分校は、1965年(昭和40年)、廃校となり内川中学校本校に併合された[10]。分校生徒はスクールバスでの本校通学を開始し、廃校の翌年には寄宿舎が新設されて通年制の寄宿生となった[11]。 小学校堂分校は、堂町が閉町した1970年(昭和45年)に廃校となった(8月29日に閉校式を実施[12])。堂分校児童は2学期から三馬小学校に移った[3][13]。 周辺 内川ダム 広域基幹林道犀鶴線 金沢市企業局新内川第二発電所 脚注 [脚注の使い方]注釈 [1]移転先として、石川県は県住宅供給公社(当時 ※2013年3月末に解散)の横川団地をあっせんした[4](1世帯は額団地に移住[5])。 [2]三小牛(みつこうし)村、別所村、蓮花(れんげ)村、山川(やまがわ)村、小原(おはら)村、富樫新保村、住吉村および後谷(うしろだに)村の8か村をさす[6](村名の読み仮名は『石川県史資料 近代篇 2』による)。 [3]犀川村、湯涌谷村、安原村、額村との同時編入。 出典 [1]“郵便番号”. 日本郵便. 2020年6月6日閲覧。 [2]“市外局番の一覧”. 総務省. 2022年9月24日閲覧。 [3]“市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年10月4日閲覧。 [4]内川の郷土史(1971), p. 306. [5]内川の郷土史(1971), p. 310. [6]『石川県町村合併誌 上巻』石川県、1961年3月、117頁。NDLJP:2988957/66?。 [7]内川の郷土史(1971), p. 308. [8]“金沢市立小学校児童通学区域”. 金沢市. 2022年9月24日閲覧。 [9]“金沢市立中学校生徒通学区域”. 金沢市. 2022年9月24日閲覧。 [10]“学校紹介 - 内川小中学校のあゆみ”. 金沢市立内川中学校. 2024年10月4日閲覧。なお、中学校分校の廃校の場合は「本校に併合」と明記されているのに対し、小学校分校の場合はそのように記されていない。 [11]内川の郷土史(1971), pp. 497–498. [12]内川の郷土史(1971), p. 494. [13]内川の郷土史(1971), p. 491. 参考文献 『内川の郷土史』内川村史発刊委員会、1971年8月。NDLJP:9536574/41。この項目は、日本の町・字に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:日本の町・字/Portal:日本の町・字)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks