堺台場跡
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歴史
安政元年9月に築造された大波止堤に大鉄砲台場に2箇所(後の南台場)小波止堤に1箇所(後の北台場)が原型である。[5]
当初は汐除けとして浜手に築いてあった台場を再利用したものに過ぎず、これを基に増築・改修が繰り返し行われた。工期の詳細な記録は残されていないが、北台場は安政元年に着工され翌年に完成、南台場は安政5年頃には竣工したと推測されている。
南台場の改築は、堺警備を担った彦根藩によって元治元年6月頃から開始され、彦根藩退役後は堺奉行に引き継がれ慶応2年正月に完成した。[1]
南北の台場は明治に入ると兵部省(のち陸軍省)の所管となり、明治12年7月に堺県が大浜公園を開設した。なお、当時の大浜公園は現在の大浜北公園も含み、南公園と北公園から成る公園だった。明治14年2月に堺県が大阪府へ編入され、明治23年1月に大阪府から堺市へ移管された。南公園は明治36年に第五回内国勧業博覧会の水族館会場として再整備された一方、北公園は別荘地・住宅地となっていった。現在では公園内に石垣や掘の一部が残されている。


