堺焼き討ち From Wikipedia, the free encyclopedia 堺焼き討ち 戦争:大坂の陣 年月日:慶長20年 4月28日 (1615年5月25日) 場所:和泉国、堺 結果:豊臣軍の勝利、堺全焼 交戦勢力 豊臣軍 徳川軍堺衆 指導者・指揮官 大野治胤 向井忠勝九鬼守隆 戦力 2000 不明 損害 不明 堺全焼 大坂の陣 木津川口 鴫野 今福 博労淵 野田・福島 北山 真田丸 本町橋 紀州 大和郡山 堺 樫井 道明寺 八尾・若江 天王寺・岡山 表示 堺焼き討ち(さかいやきうち)は、豊臣家と江戸幕府の間の大坂の陣(大坂の役)のうち、慶長20年(1615年)に発生した大坂夏の陣における戦いの一つ。 この戦いで豊臣方の武将大野治胤が、手勢2000を率いて堺を焼き討ちしたとされている。焼き討ちを行った理由については、徳川方の兵站となっていた堺への報復[注釈 1]、また冬の陣で消費した兵糧・弾薬等の略奪も兼ねていた。 戦後 大坂城落城後、大野治胤は逃走を図ったが、5月21日に京都で徳川方に捕らえられた。治胤捕縛の報を受けた堺衆は、かつて平重衡が南都を焼き討ちした際、南都衆に引き渡された例を挙げ、京都所司代の板倉勝重に訴えた。板倉勝重は堺衆の訴えを認め、大野治胤を引き渡した結果、治胤は慶長20年6月27日に堺において火あぶりの刑に処された。しかし、その残虐な処刑方法を事後に知った勝重は、「南都の者たちも重衡に同じことをしてたのか?」と堺衆の過剰な報復を叱責したという。 脚注 注釈 ↑ 大坂の陣当時、堺は徳川軍に武器や弾薬を提供していたという。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles