塚原仲晃
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京都府京都市生まれ。東京大学医学部卒業。1963年に東京大学より医学博士を授かる。博士論文の題は「A contribution of internuncial activity to motoneuronal discharges(前柱細胞発射にたいする介在細胞活動の関与について)」[1]。
36歳で大阪大学教授に就任。シナプス、記憶に関する研究においては世界をリードしていたとの評価もある[誰によって?]。当時の日本を代表する脳神経学者の一人でもあった。
1986年から開始予定であった文部省特定研究「脳の可塑性」の責任者であったが、同研究に関する文部省との打ち合わせのため上京[要出典]。その後、羽田空港発大阪空港行の日本航空123便で、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死亡。51歳没。