男爵・中川興長の七男として生まれ、子爵・増山正治の養子となる[1][3]。養父の隠居に伴い、1924年(大正13年)11月15日に子爵を襲爵した[1][3][4]。
1919年(大正8年)7月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業[2][3][5]。
1901年(明治34年)侍従職出仕となる[2]。以後、臨時帝室編修局書記、高松宮御用掛兼宮内省御用掛などを務めた[2][3]。
1936年(昭和11年)1月18日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し死去するまで在任した[2][8]。