1924年(大正13年)頃より童謡を書き始め、『赤い鳥』『童話』『金の船』(のち金の星と改題)などの雑誌に作品を発表する。
同志社高等商業学校を卒業後、1974年(昭和49年)まで外務省に勤務する。
その間、1970年(昭和45年)に季節の窓詩舎から『金子みすず童謡集 繭と墓』を発行した。同書のあとがきには「下関の商品館から投稿していた」という記述があり、これが後に金子みすゞが再発見される大きな手がかりとなった。
自作の童謡集としては、『台湾童謡集 鵝鑾鼻(がらんび)の灯台』(1965、日本歌謡芸術協会)、『色んな月』(1965、孔版児童芸術社)、『燕のおはなし』(1968、季節の窓詩舎)、『海の風と山の風』(1972)、『月と天使』(1977)がある[1]。