夏完淳
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生涯
1631年10月4日、松江府華亭県(現在の上海市松江区)で生まれる。父は夏允彝、姉は夏淑吉である。幼少時から聡明で、5歳で五経を読み、7歳で詩を能くしたと言われる。9歳の時に『代乳集』という詩集を著した。陳子龍など当代の著名な学者に師事し、経学と詩文の素養を深めた。
1644年(崇禎17年)、李自成率いる農民軍が北京城を陥落させ、崇禎帝が自害し、明王朝は崩壊した。続いて清軍が山海関を突破し、中原に進軍した。夏完淳は父の夏允彝と師の陳子龍に従い、義兵を挙げて抗清運動に身を投じた。
1645年(弘光元年)、夏完淳は父と共に南明の魯王政権に合流し、魯王から中書舎人の官職を授けられた。清軍の攻勢は激しく、義兵は次々と敗北した。同年、父の夏允彝は敗北後、自害して国に殉じた。父の死は夏完淳に大きな衝撃を与え、抗清の決意をさらに固くさせた。
1647年(永暦元年)、夏完淳は魯王への上奏文起草に関与した嫌疑で清庭に捕らえられた。南京に送致された後、当時の江南総督である洪承疇自らが尋問した。洪承畴はその才能を惜しみ、投降を勧めたが、夏完淳の厳しい言葉で拒絶された。獄中でも夏完淳は詩作を続け、『獄中上母書』『土室余論』など、後世に伝わる悲壮な作品を残した。同年9月19日、南京の西市で処刑された。享年17。
文学
夏完淳の文学の成果は主に詩、詞、散文、曲に現れている。現存する作品には詩300余首、詞曲40余首、散文12篇があり、『南冠草』『玉樊堂集』『夏内史集』などに収められている。その作品は情熱的で気骨に満ち、明王朝の滅亡の悲しみと明王朝への忠誠を力強く表現しており、文学史上、「明末詩壇の最後の光芒」と評されている。
評価と影響
家族
- 父: 夏允彝:明末の学者、政治家。清軍に敗れ自害。
- 姉: 夏淑吉:詩人。
- 妻: 銨秦篆
参考文献
- 胡輝(中国語)『夏完淳』中華書局、上海市、2020年10月1日。ISBN 9787101144116。
- 夏完淳 著、白堅 編(中国語)『夏完淳集笺校』上海古籍出版社、上海市、1991年7月1日。ISBN 9787532562268。