崇禎元年、1627年(天啓7年)に熹宗が死亡したため、弟崇禎帝が皇位についた。
崇禎17年3月19日、李自成により明は滅亡。李自成は、その年の1月に西安で皇帝を称し(順)、年号を永昌としていたが、4月に清によって逐われた。その清の元号では、この年は順治元年である。
一方、南京では、崇禎帝の従兄弟である福王・朱由崧が5月15日に皇帝に即位し、明朝を復興(南明)、踰年改元法に則り、崇禎の年号を継承し、翌年正月を以って弘光に改元する。
李氏朝鮮では、明の滅亡後、明の後継者は朝鮮だとする小中華思想により、崇禎による崇禎紀元を使い続けていた。