多治比真浄
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出自
経歴
外従五位下に叙せられた後、光仁朝の宝亀8年(777年)山背介に任ぜられる。
桓武朝に入ると、延暦3年(784年)6月に長岡宮の造営を行うために中納言・藤原種継らとともに造長岡宮使に任ぜられ、同年12月に造宮使らに対する叙位が行われ、真浄は二階昇進して外正五位下に昇叙される。延暦4年(785年)右衛士佐を経て、延暦5年(786年)内位の従五位下に叙せられるが、延暦6年(787年)丹波介として地方官に転じた。のち、延暦8年(789年)皇太后・高野新笠、延暦9年(790年)皇后・藤原乙牟漏の葬儀では、いずれも作路司を務めている。
その後、丹比宿禰姓から多治比宿禰姓に改姓し、延暦15年(796年)10月に肥後介、同年12月に内匠頭、翌延暦16年(797年)2月には讃岐介と、短期間に複数の官職に補任されている。
官歴
『六国史』による。