多田親愛
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書風
生涯
天保11年(1840年)江戸芝に生まれる。はじめ芝神明宮の祢宜であったが、明治2年(1869年)に神祇官になり、明治7年(1874年)博物局(現在の東京国立博物館)史伝課属に出仕し、明治27年(1894年)まで勤めた。在勤中、博物局から古筆を借りることができ、家に持ち帰って模写した。特に歌合(十巻本)の『寛平御時后宮歌合』によって上代様を徹底的に究明した。
明治20年(1887年)に皇后の命により、色紙24枚を奉献した。田中親美は12歳で弟子入りしている。
明治23年(1890年)三条梨堂、東久世竹亭の提唱により、上代様かな研究を目的とした「難波津会」(なにはづかい)が結成され上代様の研究・復興に参画する。親愛は大口周魚、小野鵞堂、阪正臣らと共に参画し、のちの明治・大正のかな書の発展に大きく貢献した。
明治27年(1894年)に博物局を辞め、書に専念、明治38年(1905年)4月18日に64歳で下谷西町24の寓居で永眠した。墓所は黄檗宗牛頭山弘福寺(墨田区向島5-3-2)にあり、戒名を覚性院堪道唯心居士とする。
代表作
出版物
- 『立春帖』
- 『古今集序』
など多数。

