小野鵞堂
1862-1922, 江戸時代の書家
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業績
略歴
文久2年(1862年)駿河国(静岡県)藤枝宿に、田中藩士の武道師範、小野清右衛門成命の長男として生まれる。学問に没頭できる家系であったが、明治維新で主家の本多家が安房に所替えとなり(長尾藩)、長尾で育つ。
明治6年(1873年)に父と死別。安房より上京して商家に丁稚奉公に入るなど、苦学力行した。紹介する人があって成瀬大域に書と漢籍、小中村清矩に国学の教えを受け、塾頭になるほど精進を重ねた。のちにその筆の才を買われて大蔵省の書記となり辞令掛を務めた。書は和様の古筆、名蹟の研究を独学で続け、書の芸域を広めた。
- 難波津会
明治22年(1889年)、書の手本書を出版したところ、大蔵省上層部のやっかみを受けた小野は免官となり窮乏するも陸羯南の『日本 (新聞)』に入る。
明治23年(1890年)に三条梨堂、東久世竹亭などにより「難波津会」(なにはづかい)が創設され、それに参加。今日のかな書道の基礎を形成する上に大きく貢献した。当時のかな書道における重要な人々はほとんどこの「難波津会」に属しており、これらの人々との交流や古典研究の門戸が開かれた。
- 斯華会、斯華の友
同年「斯華会」を創設し、のちに書道雑誌『斯華の友』を創刊する。当初、隔月刊だったがすぐに月刊となり、その後『書道研究斯華の友』と改名した。内容は鵞堂筆による漢字・かなの手本、競技書成績などがあり、今日の競書雑誌と同じ仕組みの記載になっている。
- 華族女学校教授に
同年、昭憲皇太后に『明倫歌集』を歌かるたに書いて献上したことにより、その能書を買われ、翌明治24年に華族女学校(現、学習院女子高等科)教授として華族の子女にかなを教える。
- 東宮職御用掛に
明治33年(1900年)には、華族女学校教授のまま東宮職御用掛となり、皇太子妃・九条節子にかなを教授した。
- 後継者と本人の急死
大正9年(1920年)鵞堂が次代を託した三男、小鵞が26歳で急死した。そして、その2年後、鵞堂は60歳で女子学習院教授在職のまま没した。正五位、勲五等双光旭日章が授与された[2]。
- その後の「斯華会」
「斯華会」は四男の成鵞が跡を継承。昭和44年(1969年)に成鷲が亡くなると、その子の之鵞が30代でこれを継承。平成8年(1996年)に之鵞が亡くなると、その後は之鷲の妻の之右と、双子の左鷲と右鷲が継いでいる[3]。
| 文久2年 | 1862年 | 駿河国藤枝に生まれる。 | |
| 明治6年 | 1873年 | 12歳 | 安房より上京。 |
| 明治23年 | 1890年 | 28歳 | 『古今集序』を出版する。 昭憲皇太后に『明倫歌集』を歌かるたに書いて献上する。 書道研究「斯華会」を創設する。 |
| 明治24年 | 1891年 | 29歳 | 華族女学校(現、学習院女子高等科)教授となる[4]。 |
| 明治25年 | 1892年 | 30歳 | 『書法大意』を出版する。 |
| 明治33年 | 1900年 | 38歳 | 東宮職御用掛となる。 |
| 明治37年 | 1904年 | 42歳 | 書道雑誌『斯華の友』を創刊する。 |
| 大正元年 | 1912年 | 50歳 | 『斯華の友』を『書道研究斯華の友』に改名する。 |
| 大正9年 | 1920年 | 58歳 | 三男、小鵞が急死する。 |
| 大正11年 | 1922年 | 60歳 | 永眠。 |
家族
門弟
著作リスト
- 『かな書道 : 百人一首の学び方』(小野成幸解説、文海堂)
- 『中等實用習字帖』(書道振興會編)
- 『三體千字文』(久栄堂書店→マール社、2002年)
- 『小倉帳』(田中宋榮堂、此村欽英堂、千葉久榮堂)
- 『真行草書法』(斯華会出版部)
- 『新體手紙文』(斯華会出版部)
- 『諸変體かな書法 全』(斯華会出版部)
- 『新様女用文』(斯華会出版部)
- 『書道宝典 1-6』(斯華会出版部)
- 『習字科講義 -大日本中学会第1学級講義録-』(大日本中学会)
- 『習字科講義 -大日本中学会第2学級講義録-』(大日本中学会)
- 『習字科講義 行草之部 -大日本中学会29年度第2学級講義録-』(大日本中学会)
- 『習字科講義 楷書 -大日本中学会29年第1学級講義録-』(大日本中学会)
- 『かな習字講習録』(久栄堂書店)
- 『女子手紙講習録』(久栄堂書店)
- 『男子手紙講習録』(久栄堂書店)
- 『かな習字帖 -古今和謌集序-』』(吉川半七、1890年)
- 『かな習字教育勅語帖』(吉川半七、1891年)
- 『高等小學女子習字帖』(吉川半七、1892年)
- 『高等女子文かきふり』(吉川半七、1892年)
- 『普通習字法』(吉川半七、1892年)
- 『書法大意(女学全書 第1-4編)』(博文館、1892年)
- 『秋湖賦』(吉川半七、1893年)
- 『手紙之文 完』(吉川半七、1893年)
- 『小学手紙之文』(吉川半七、1893年)
- 『小倉百人一首』(田中治兵衛、1893年)
- 『斯華帖 1-4』(吉川半七、1895年)
- 『新撰筆のしをり 1-4』(博文館、1906年)
- 『書道講習録』(博文館、1922年)
- 『漢字のくづしかた : 草書』(書道研究社、1924年)
- 『新式文のかきぶり』(斯華会出版部、1924年)
- 『諸書式かきぶり』(田中宋榮堂、此村欽英堂、千葉久榮堂、1931年)
- 『新式習字と手紙』(斯華会、1924年→1933年)
- 『楷書飲中八仙歌』(辰文館、1934年)
- 『楷行草習字講習録』(久榮堂書店、1935年)
- 『三體習字と手紙 : 真行草』(斯華会出版部、1937年)
- 『かな : 基本より書式まで!!』(文海堂、1975年→新版、1987年、秀峰堂、1989年)
- 『古筆かな字鑑 : 名筆の手本と鑑賞 改訂版』(文海堂、1976年)
- 『隷書入門 : 基礎から臨書まで』(文海堂、1979年→1985年)
- 『草書かな和漢朗詠帖』(文海堂、1972年→1981年)
- 『鵞堂書道教室』(文海堂、1981年)
- 『墨場必携:隷書 行書 草書』(文海堂、1979年→1982年→新版、秀峰堂、1995年)
- 『かな書道 : 百人一首の学び方 新版』(小野成幸,小野之鵞解説、文海堂、1983年)
- 『三体千字文』(マール社、1984年)
- 『書道いろは帖』(マール社、1984年)
- 『書道小倉百人一首』(マール社、1985年)
- 『草書漢字のくずし方』(マール社、1986年→2003年)
- 『かな書道 新版』(秀峰堂、1987年)
- 『古筆かな字鑑 : 名筆の手本と鑑賞』(文海堂、1987年)
- 『鵞堂三体千字文 : 楷書・行書・草書 新版』(文海堂、1987年)
- 『鵞堂かな帖 : 筆の持ち方から作品が書けるまで!!』(文海堂、1988年)
- 『鵞堂書道教室 新装改訂版』(文海堂、1989年)
- 『三體千字文 -楷書 行書 草書 新版-』(秀峰堂、1993年)
- 『書道小倉百人一首』(マール社、2009年)
共著
- 『女子消息 文のはやし 完』(小川直子と、久栄堂書店)
- 『女子消息 雁の玉つさ』(小川直子と、久栄堂書店)
- 『女子消息文可き不利 1,2』(関根正直校閲、吉川半七、1891年)
- 『書翰 上下』(小中村義象と、吉川半七、1894年)
- 『明治女子書簡文 全』(大和田建樹編、博文館、1894年)
- 『増補 明治女子書簡文』(大和田建樹編、博文館、1894年)
- 『女子手紙文』(大倉保五郎編、大倉書店、1896年)
- 『新撰書翰文 1-10』(小中村義象と、吉川半七、1897年)
- 『新撰女子用文 上下』(池辺義象と、吉川半七、1899年)
- 『女子手紙文 増訂』(落合直文と、大倉書店、1900年)
- 『女子消息 雁のゆきかひ』(大倉保五郎編、大倉書店、1900年)
- 『女子消息 文の手ほどき』(中邨秋香と、前川文榮閣、1903年)
- 『女子消息文』(下田歌子と、三盟館、1907年)
- 『書式百体 海事百人一首』(池辺義象と、1911年)
- 『和漢名家習字本大成 第26巻 : 古今和歌集序・和歌習字帖』(多田親愛と、平凡社、1934年)
- 『新編揮毫事典 : 隷書・行書・草書かな 活用引用、自由自在!!』(小野小鵞と、秀峰堂、1986年・文海堂、1988年)
- 『書道の学び方 -筆法図解-』(鈴木香雨と、秀峰堂・文海堂、1992年)
遺墨集
- 『二柳遺品』(1925年)
- 『鵞堂先生遺墨集』(書道研究斯華会、1938年)
- 『小野鵞堂先生遺墨集』(書道研究斯華会、1955年)
- →『小野鵞堂遺墨集成』(小野之右、小野左鵞、小野右鵞共編、芸術新聞社、2007年)
その他
- 駒 (将棋):「鵞堂書」という書体の駒がある。
参考文献
- 書道専門誌 『墨』 - 芸術新聞社発行 - 1981年10月臨時増刊 近代日本の書
- 鈴木翠軒・伊東参州 『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年11月)ISBN 978-4-8195-0145-3
