大下藤次郎
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- 1870年 東京・本郷真砂町[2](現・文京区本郷)で、旅人宿・馬宿・馬車問屋を営む家に生まれる。
- 19歳のころ、家業を手伝う傍ら美術界へ進むことを決意する。
- 1892年 アルフレッド・パーソンズ、ジョン・ヴァーレー・ジュニア[3]らが来日して水彩画展を開き[4]、その絵に感銘をうけ、水彩画に興味を持つようになる。また、三宅克己と知り合う。
- 1893年 父親が死亡する。この頃、原田直次郎について絵を学ぶ。
- 1898年 半年ほど、オーストラリアへ旅行する。
- 1901年 技法書の『水彩画之栞』[5]を刊行し、ベストセラーとなる。
- 1903年 青梅に転居する。
- 1905年 春鳥会(現・美術出版社)をおこし、美術雑誌『みづゑ』を刊行する。
- 1907年 日本水彩画研究所を設立する。第一回文展に『穂高山の麓』[6]を出品。
- 1909年 甲州・白峰山(南アルプス北岳)をめざした山旅に出る。この山旅から紀行文『白峰の麓』と水彩画「西山峠」(島根県立石見美術館所蔵)が生まれた。描かれた山は峠越えの際に見た悪沢岳(赤石山脈)である。
- 1911年 瀬戸内などを旅した末、突然の病に倒れ、死去する。墓所は雑司ヶ谷霊園。