大久保忠次 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不詳死没 永禄12年8月25日(1569年10月15日)別名 左衛門次郎 凡例大久保忠次時代 戦国時代生誕 不詳死没 永禄12年8月25日(1569年10月15日)別名 左衛門次郎戒名 常然墓所 妙国寺(愛知県岡崎市)主君 松平清康、広忠、徳川家康氏族 大久保氏父母 宇津忠茂兄弟 忠平、忠俊、忠次、忠員、忠久、忠行、加藤景成室、杉浦政次室妻 大原正継の娘子 忠重、阿倍忠政、与市郎、忠成、昌長、荒川氏室、忠栄、忠休、勘助テンプレートを表示 大久保 忠次(おおくぼ ただつぐ)は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣。 三河松平氏の家臣。天文6年(1537年)松平広忠が伊勢へと追われた時、兄忠俊らと共に広忠の岡崎城帰還に尽力した。天文9年(1540年)渡の合戦、天文11年(1542年)小豆坂の戦いで活躍。天文18年(1549年)第三次安城合戦では捕虜とした織田信広を尾張へと送還する役目を忠俊と共に担った。永禄3年(1560年)刈谷城の合戦で戦功。永禄6年(1563年)三河一向一揆鎮圧にも一族とともに活躍した。 出典 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年2月) 『寛政重修諸家譜』巻第706 Related Articles