大井卜新
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和歌山県平民・大井源四郎の長男として紀伊国牟婁郡西山郷平谷村(三重県南牟婁郡西山村、紀和町を経て現熊野市紀和町平谷)に生まれ、1845年(弘化元年)から1848年(嘉永元年)まで、菊岡隆之助に漢学を学び、その後京都に出て医学を修め、さらに1855年(安政元年)から長崎でオランダ人、ポンペ、ボードウィンのもとで蘭学と医学を学んで蘭方医となる[1][2]。
長崎に9年いたのち、1861年(文久3年)飫肥藩で1年洋医学を教え、1865年(慶応元年)に大阪で開業[1][2]、1867年(慶応3年)には大坂歩兵屯営付き軍医として伏見の役に出陣[1]。この縁で和歌山藩士に列せられ、同時に大阪府仮病院(現・大阪大学医学部附属病院)医師となる[1][2]。
明治維新後は大学得業生、文部省助教を経て薬剤師となり、1876年に大阪で薬局開業[1][2]。その後大阪府会議員などを経て、1904年に衆議院議員に当選(三重県郡部5、立憲政友会)。このほか、中外生命保険会社設立、硫酸肥料、伊和鉄道、大阪電灯などの重役、大阪商業会議所副会頭も務めた。1909年には渋沢栄一率いるアメリカ実業界視察旅行「渡米実業団」に参加した。
