大井政継 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 1511年?死没 不詳別名 民部少輔 凡例大井政継時代 戦国時代生誕 1511年?死没 不詳別名 民部少輔戒名 玄江墓所 玄江院主君 大井貞隆→武田信玄、勝頼→依田信蕃氏族 小笠原氏流大井氏父母 父:大井政勝兄弟 政行、政継妻 岩尾城主大井行真の娘[1]子 政成テンプレートを表示 大井 政継(おおい まさつぐ)は、戦国時代の武将。信濃国耳取城主。大井政勝の子。 平賀玄信(大井成頼)の孫(『大井小笠原流系図』)で[2]、耳取城を攻めとって耳取城(鷹取城)主となる。天文5年(1536年)武田信虎の佐久侵攻に抗して海ノ口城の後詰めをした。天文12年(1543年)頃、武田信玄に降る。 弘治年間(1555-1558年)に城に近い館を寄進して鷹取山玄江院を建立した[3]。 また駒形城(駒形神社)を再興したと伝わる[4]。天正10年(1582年)の天正壬午の乱で徳川方に降り、子の政成は天正18年(1590年)の家康の関東移封に従って上州藤岡に移った。 脚注 ↑ 大井敏夫『岩尾家譜(現代語訳)』1996年 P.219 ↑ 佐久市志編纂委員会、1993、『佐久市志 歴史編 2(中世)』P.386 ↑ 日本城郭大系 第8巻 長野・山梨 P.171 ↑ 佐久市志編纂委員会、1993、『佐久市志 歴史編 2(中世)』P.715 参考文献 小諸市誌編纂委員会編、『小諸市誌』歴史編 (二)小諸市教育委員会、1984年 外部リンク 耳取城~城と古戦場~ 駒形神社の塁 - ウェイバックマシン(2016年1月8日アーカイブ分) Related Articles