大伴宿奈麻呂
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元明朝の和銅元年(708年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙せられる。その後、和銅5年(712年)従五位上、霊亀3年(717年)正五位下、養老4年(720年)正五位上と元明朝から元正朝にかけて順調に昇進する。またこの間、和銅8年(715年)左衛士督、養老3年(719年)7月には備前守在任中であったが、安芸国・周防国の按察使に任ぜられている。
神亀元年(724年)聖武天皇の即位後間もなく従四位下に叙せられた。没年は不詳だが、おそらく神亀4年(727年)頃までに亡くなったと想定される。
神亀元年(724年)より以前、宮仕えする恋人に対する歌があり、『万葉集』にはこの2首が採録されている[1]。また『万葉集』(4-759)によれば田村里(現在の奈良県奈良市尼辻町)に住んでいたことが知られ、時に右大弁だった。