大住三行 From Wikipedia, the free encyclopedia 大住 三行(おおすみ の みゆき、生没年不詳)は、奈良時代の人物。氏は大隅とも表記される[1]。姓は忌寸。官位は外従五位上・隼人正。 大隅(大住・大角)氏は大隅国大隅郡大隅郷(現在の鹿児島県肝属郡東串良町および肝付町のうち旧高山町一帯)の豪族で、火闌降命の子孫である大角隼人[2]の本宗氏族[3]。姓は直で、天武天皇の八色の姓において畿内に移住した一派が忌寸に改姓した。畿内の大住一族の中心地になったのが、山城国綴喜郡大住郷(現在の京田辺市)の地であったと言われている。某年の『山背国隼人計帳』には、「大住忌寸足人」・「大住忌寸山守」の名前が見られる[4][5]。 経歴 称徳朝の神護景雲3年(767年)11月に大隅国・薩摩国の隼人が天皇の御前で俗伎(くにぶりのわざ=郷土の歌舞)を披露し、三行は褒賞としてほかの隼人とともに叙位を受け、上正六位上[6]より外従五位下に昇叙されている。 光仁朝の宝亀6年(775年)4月に檜前舎人建麻呂の後任の隼人正に任じられている。翌宝亀7年(776年)今度は光仁天皇の御前で大隅国・薩摩国の隼人が俗伎を披露し[7]、三行は外従五位上に昇叙されている。 官歴 『続日本紀』による。 時期不詳:上正六位上 神護景雲3年(769年) 11月26日:外従五位下 宝亀6年(775年) 4月8日:隼人正 宝亀7年(776年) 2月10日:外従五位上 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『続日本紀』宝亀6年4月8日条 ↑ 『新撰姓氏録』大和国神別 ↑ 佐伯[2015: 109] ↑ 『寧楽遺文』上巻189 ↑ 『大日本古文書』巻一 - 649 ↑ 神護景雲元年8月16日の称徳天皇の詔によると、従五位上と正六位上の間に、「上正六位上」という新たな位階が設置され、正六位上で3回以上も成選の機会を迎えたものに賜与されたらしい ↑ 『続日本紀』宝亀7年2月8日条 参考文献 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年 『続日本紀』5 新日本古典文学大系16 岩波書店、1998年 宇治谷孟訳『続日本紀 (中)・(下)』講談社学術文庫、1992年・1995年 『日本古代人名辞典』2 - 332頁、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1959年 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編109頁、雄山閣、2015年 関連項目 隼人舞 Related Articles