大八洲晃
日本の力士 (1906-1975)
From Wikipedia, the free encyclopedia
人物
入門前に松竹で映画俳優をしていたという異色の経歴の持ち主。ほぼ同時期に立浪部屋に入門した双葉山と出世を争い、その体格から双葉山よりも有望視されていた。しかし、相手を引っ張り込むだけで技能に乏しい取り口だったため伸び悩んだ。
双葉山は幕下時代に大八洲に「右目が全然、見えないんだ」と打ち明けたが、それは引退するまで2人だけの秘密となった[2][1]。
引退後は年寄・白玉を名乗り、立浪部屋付きの親方として後進を指導したほか、事務能力の高さを買われて相撲協会理事に就任し、名古屋場所担当を務めた[1]。長年理事、監事を務め、名古屋場所や大阪場所が本場所に昇格する際に手腕を発揮した[3]。停年直前の1971年1月廃業し、スポーツ紙に競馬予想の記事を書いていた。1975年4月、69歳で死去。
略歴
主な成績
場所別成績
| 春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1927年 (昭和2年) |
x | x | (前相撲) | (前相撲) | ||
| 1928年 (昭和3年) |
(前相撲) | (前相撲) | 西序二段25枚目 – |
西序二段25枚目 – |
||
| 1929年 (昭和4年) |
東三段目31枚目 – |
東三段目31枚目 – |
東三段目43枚目 – |
東三段目43枚目 – |
||
| 1930年 (昭和5年) |
西三段目15枚目 – |
西三段目15枚目 優勝 6–0 |
西幕下18枚目 – |
西幕下18枚目 – |
||
| 1931年 (昭和6年) |
東幕下13枚目 3–3 |
東幕下13枚目 2–4 |
西幕下20枚目 – |
西幕下20枚目 – |
||
| 1932年 (昭和7年) |
西十両2枚目 4–4[4] |
西十両2枚目 4–6 |
西十両5枚目 4–7 |
西十両5枚目 6–5 |
||
| 1933年 (昭和8年) |
東十両10枚目 7–4 |
x | 東十両5枚目 6–5 |
x | ||
| 1934年 (昭和9年) |
東十両3枚目 6–5 |
x | 東十両2枚目 7–4 |
x | ||
| 1935年 (昭和10年) |
西前頭14枚目 6–5 |
x | 西前頭13枚目 5–6 |
x | ||
| 1936年 (昭和11年) |
西前頭12枚目 6–5 |
x | 西前頭10枚目 3–8 |
x | ||
| 1937年 (昭和12年) |
西前頭15枚目 6–5 |
x | 東前頭11枚目 3–10 |
x | ||
| 1938年 (昭和13年) |
東十両2枚目 4–8 1分 |
x | 東十両9枚目 6–7 |
x | ||
| 1938年 (昭和13年) |
東十両10枚目 引退 3–10–0 |
x | x | x | ||
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) | ||||||
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
幕内対戦成績
改名歴
- 大八洲 多喜知(おおやしま たきち)1927年5月場所 - 1930年10月場所
- 大八洲 晃( - あきら)1931年1月場所 - 1939年1月場所
年寄変遷
- 白玉 多喜知(しらたま たきち) 1939年1月 - 1971年1月