大前憲三郎
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奈良県十津川村湯之原に大前憲保の三男として生まれる[2]。湯之原尋常小学校を卒業し、1912年(明治45年)十津川中学文武館(現奈良県立十津川高等学校)に学び、卒業後伏見の工兵第十六大隊に士官候補生として入隊[2]。1915年(大正4年)5月25日に陸軍士官学校(27期)を卒業し、同年12月25日に工兵少尉に任ぜられ、工兵第十六大隊付となる[3]。1916年(大正5年)11月27日に陸軍砲工学校(24期)高等科を卒業[4]し、更に員外学生として在学。1919年(大正8年)4月15日に工兵中尉に昇進[5]、1922年(大正11年)3月31日には東京帝国大学理学部物理学科を卒業した[6]。
1924年(大正13年)8月20日に工兵大尉に昇進[7]し陸軍築城部本部部員等を経て、1925年(大正14年)5月1日に陸軍砲工学校教官兼任となる[8]。1931年(昭和6年)8月1日工兵少佐に昇進[9]し陸地測量部班長に補せられる。1935年(昭和10年)8月1日工兵中佐に昇進[10]し、陸軍技術本部部員等を経て、陸地測量部三角科長在任中の1938年(昭和13年)7月15日に工兵大佐に昇進[11]。
その後、独立工兵第二十五連隊長を経て、西部軍兵器部長在任中の1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に昇進。更に陸地測量部長を歴任し、1945年(昭和20年)4月30日に陸軍中将に昇進[12]し終戦を迎えた[1]。