大原門部
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霊亀3年(717年)従五位上、養老5年(721年)正五位下、神亀元年(724年)正五位上、神亀5年(728年)従四位下と、元正朝から聖武朝初頭にかけて順調に昇進する。一方で、伊勢国司在任中の養老3年(719年)に按察使が設置されると、伊賀・志摩両国を管轄、養老年間から神亀年間ごろに出雲守を務めるなど地方官を歴任した。神亀年間から天平年間初頭にかけては、兄弟の桜井王始め侍従として聖武天皇に仕えた10余人と共に「風流侍従」と称された[2]。天平6年(734年)朱雀門前で歌垣が開催された際には、長田王・栗栖王・野中王らと共に頭を務めている[3]。
聖武朝後半は右京大夫・大蔵卿と京官を歴任し、天平14年(742年)従四位上に至る。この間の天平11年(739年)には兄弟の高安王・桜井王と共に大原真人姓を賜与され臣籍降下している。
天平17年(745年)4月23日卒去。最終官位は大蔵卿従四位上。