大友親隆 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代生誕 不明死没 文明2年7月15日(1470年8月11日)[1]別名 四郎 凡例大友親隆時代 室町時代生誕 不明死没 文明2年7月15日(1470年8月11日)[1]別名 四郎戒名 寶生寺殿成岩正全大禅定門官位 従五位下幕府 室町幕府豊後守護氏族 大友氏父母 父:大友親世兄弟 持直、親棟、親隆、親直、親雄子 大友親繁室テンプレートを表示 大友 親隆(おおとも ちかたか)は、室町時代中期の武将・守護大名。大友氏の14代当主。10代当主大友親世の三男。 兄である持直が室町幕府から追討を受けたときは、新たに当主となった氏継系の13代当主親綱に従い、共に兄の追討軍に従軍している。のちに親綱から家督を譲られ当主となった。これは氏継系と親世系との宥和政策の一環であり、親隆ものちに家督を親綱の弟親繁に譲った。継承時期については諸説ありはっきりせず、家督交代後も親隆と親繁に争いがあったともいう。 偏諱を受けた人物 大野隆基(おおの たかもと)- 豊後大神氏の一族、大野氏の当主。 高田隆定(たかだ たかさだ)- 源重遠(清和源氏満政流)の末裔とされる高田基重(もとしげ)の子。続く親繁、政親にも仕え、明応九年(1495年)の政親の長門攻めにおいて長府で戦死。子に義治(よしはる)。 奈多隆実(なた たかざね)- 奈多氏は豊後国安岐郷にある八幡奈多宮の大宮司家であり、子に宗心。子孫に奈多鑑基などを輩出している。 問註所隆康(もんぢゅうじょ たかやす)- 問註所氏当主。子孫に問註所統景など。 脚注 ↑ 『新訂寛政重修諸家譜2』 表話編歴豊後大友氏第14代当主(1439年 - 1444年?) 能直 親秀 泰直(頼泰) 親時 貞親 貞宗 氏泰 氏時 氏継 親世 親著 持直 親綱 親隆 親繁 政親 義右 親治 義長 義鑑 義鎮(宗麟) 義統 義乗 義親 | 断絶 ※後に高家として再興 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles