大口信夫
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来歴
1917年(大正6年)愛知県豊橋市で政治家・大口喜六の4男[2]として生まれる。1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校[3]。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業[3]。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた[3]。
1945年(昭和20年)外務省に復帰。以後、ジュネーヴ領事、イタリア大使館一等書記官、ボンベイ総領事、メキシコ大使館公使を務めた。
1969年から1972年までサンパウロ総領事。サンパウロ総領事在任中の1970年3月11日夕刻、総領事館から公邸への帰路、誘拐事件に遭遇。誘拐犯の要求は政治犯5人の釈放とメキシコ亡命であり、ブラジル政府は要求を受諾[4]。釈放された政治犯がメキシコへ到着した同年3月15日の夜になって、大口総領事は無事に釈放された[5][6]。4日間に渡って人質となった大口総領事の「毅然とした態度がテロリストにも畏怖心を与え、拉致されている間も終始紳士的に応じたと記されています。解放するため公邸近くまで車で送ってきたテロリストは、別れ際に握手を求めた」[7]と言われる。
その後、1975年から1977年までポルトガル、1977年から1979年までサウジアラビア、1980年から1983年までブラジルの特命全権大使を歴任した。
1983年(昭和58年)外務省を退官した後、住銀リース(株)顧問を務めた。
逸話
外国の郷土玩具を取集し、死後、豊橋市に寄贈した[2]。
著書
- 大口信夫(著)『外交官誘拐さる』ダイヤモンド社, 1989/12/1 ISBN:4478170215