1926年、当時日本進出を目指していたスウェーデン燐寸は、日本の全燐寸会社との合弁を試みたものの失敗に終わり、その翌年以降は、日本の個々の燐寸会社との折衝を試みるようになる。そして当時日本一であった東洋燐寸との折衝に入り、東洋燐寸、日本燐寸、公益社を統合した大同燐寸が設立された。大同燐寸の社長には瀧川儀作が就任し、同社の資本の半分はスウェーデン燐寸から拠出されていた。工員7000人、工場15箇所、印刷工場2箇所、軸木工場3箇所、月の生産能力3万トンで国内の65%を抑えるという規模であった[2]。