・詩文・書・絵画に秀で、笑社の中心となった儒者の頼山陽や南画家田能村竹田などと交流があった。特に蘭の絵を得意とした。
・豪放磊落で天衣無縫な人物として知られ、身辺を飾ることなく、越中褌一丁で酒を飲み、書物を読むのが常だった。
・なお、当時の学僧が説教の傾向を評した「易は上手 含は短し 蛇ながし 野洲ははなやか 徳なみだかな」という戯れ歌が残っている。易とは易行院法悔、含とは雲華院大含、蛇とは江州蛇溝(現・滋賀県東近江市蛇溝町)の如説院恵劍、野洲は同野洲(滋賀県野洲市)の実言院慧景、徳は香樹院徳龍のことである。