笑社 From Wikipedia, the free encyclopedia 笑社(しょうしゃ)は、江戸時代後期、儒者の頼山陽が平安(京都)において活動の拠点とした文人結社の名。化政期(1804年 - 1830年)以降、平安(京都)や浪華(大阪)を中心に、文人の交遊は崎陽(長崎)・豊後(大分)・尾張(名古屋)から北国街道(北陸)・江戸(東京)・奥羽(東北)に至るネットワークを形成し、これにより、日本各地へ書画や煎茶の文化が拡がっていった[1]。 菅井梅関 【水西荘図巻】 (文人画研究会蔵) 文化8年(1811年)、山陽が平安の新町通丸太町上ルに定住して[2]私塾を開いて以来、文政6年に至るまで続き、文政7年に「真社」と改名してからは、社中に「旧社」と呼ばれている[3]。木崎愛吉(号は好尚 1866年 - 1944年)は「笑社は『笑い会』と呼ばれ、同好相会して、月の例会には、各自輪番にその自宅を会場に充て、古書画・骨董を持寄って、その品評を闘わせつつあった。山陽の『笑社記』[4]には『文化十二年乙亥之秋』撰すとあり、その頃が尤も盛んな時代であったらしい」と述べている[5]。 社中 頼山陽 浦上春琴 篠崎小竹 小石元瑞 大窪詩仏 柏木如亭 武元登々庵 小野泉蔵 小田海僊 山本梅逸 大含(末広雲華) 田能村竹田 村瀬藤城 村瀬秋水 後藤松陰 江馬細香 寺島蔵人 菊池五山 菅井梅関 高久靄厓 大雅堂辰亮(月峰) 大雅堂義亮 大雅堂定亮 大雅堂清亮 脚注 [脚注の使い方] ↑ 許永晝『読画稿』(文人画研究会 2015)「序―読画の前に―」参照。 ↑ 岡田孝男『史跡 頼山陽の書斎 山紫水明処』財団法人頼山陽旧跡保存会、1974年、8頁。 ↑ 『頼山陽全書』「全伝」第六期・文政6年(山陽44歳)12月21日に「笑社」の忘年会が鴨河東岸の酒楼にて開催された記事がみえるが、翌年文政7年(山陽45歳)11月、雲華(大含)の提案により、社名を「真率会」(真社)と改める記事がある。 ↑ 天保12年に刊行された『山陽遺稿』文集巻七にみえる原文と現代語訳は、『笑社論集』(文人画研究会 2021年)参照。 ↑ 『頼山陽全書』(頼山陽先生遺蹟顕彰会、1931年)「全伝」参照。 参考文献 『山陽遺稿』文集(天保12年〔1841年〕刊) 木崎愛吉・頼成一共編『頼山陽全書』頼山陽先生遺蹟顕彰会、1931年 岡田孝男『史跡 頼山陽の書斎 山紫水明処』財団法人頼山陽旧跡保存会、1974年 許永晝『読画稿』文人画研究会、2015年 許永晝・森田聖子・小林詔子・市川尚編『笑社論集』文人画研究会、2021年 「笑社記」解説 「笑社記」影印(『山陽遺稿』文集・巻七) 「笑社記」(現代語訳・注) 「真社約」(現代語訳・注) Related Articles