大坪直行 From Wikipedia, the free encyclopedia 大坪 直行(おおつぼ なおゆき、1935年1月 - )は、日本の編集者、実業家。宝石社の編集者を経て、1972年に霊友会をスポンサーとする雑誌『いんなあとりっぷ』を創刊した。 『ヒッチコック・マガジン』1959年8月号(創刊号)の奥付。編集担当として大坪の名も記載されている。 東京生まれ。父は本郷坂下町(現・文京区千駄木3丁目)時代の講談社の向かいで郵便局を営み、野間清治の家に出入りしていた[1]。 早稲田大学大学院在学中、講談社学芸部でアルバイトしたのち、1958年、江戸川乱歩のスカウトで宝石社に入社。雑誌『宝石』の編集に従事し、主に日本人作家を担当する。 1959年6月、宝石社は『Alfred Hitchcock's Mystery Magazine』の日本版である『ヒッチコック・マガジン』を創刊した(8月号)。編集長の中原弓彦の下で同誌の編集にも従事。 詩人としても活動し「若い日本の会」にも参加。のち『宝石』最後の編集長に就任。1964年5月、『宝石』が廃刊。 1965年、光文社は『宝石』の版権を買い取って[2]、同年10月に男性向け月刊総合雑誌として再刊した[3]。大坪は光文社へ入社してそのまま編集長となった。 のち退社して、1972年、石原慎太郎の薦めにより霊友会をスポンサーとする雑誌『いんなあとりっぷ』を創刊。同時に「いんなあとりっぷ社」社長に就任。1990年まで『いんなあとりっぷ』を刊行。 のち経心会(経営と心の会)代表。 脚注 ↑ 『本の雑誌』2008年2月号、p.5 ↑ 森彰英『音羽の杜の遺伝子』リヨン社、2003年、p.108 ↑ 日本ジャーナリスト会議・出版支部編著『目でみる出版ジャーナリズム小史 増補版』高文研、1985年初版、1989年増補版、p.76 参考文献 『本の雑誌』2008年2月号(大坪直行ロングインタビュー 聞き手:新保博久) - のち『ミステリ編集道』(本の雑誌社)に収録。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles