大塚日現
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千葉県長生郡豊田村に農家の長男として生まれる[2]。寺小屋の教育を経て屋根職人となるが、母の眼病を切っ掛けとして本門仏立講に触れる。母の眼病が全快の後は菩提寺を鷲山寺とすると共に仏立講の布教に邁進、その功あって1907年(明治40年)に在家信者ながら鷲山寺の徒弟となる。その後も布教活動を活発に行い、1912年(大正元年)に鷲山寺貫首院代の小野山日風を得度師・岡野現相を得度親として出家する。
しかし翌1913年(大正2年)に寺務上の問題から岡野を批判、岡野から破門されると日現は寺を出て浅草橋場町(山谷)で大日本獅子吼会を開いて宗教活動の拠点とした。日現の活動は東京でも目覚しい発展を見せ本門流宗内の注目を得、1915年(大正4年)に日現は僧籍を回復。以後は獅子吼会の活動の傍ら、本門流の僧侶としても鷲山寺貫首・法華宗本門流管長を務めた。
著書
- 『大詔に関し田中智学君の謬論を駁す』(獅子吼会、1924年)
