大塚榛山 From Wikipedia, the free encyclopedia 大塚 榛山(おおつか しんざん、明治4年4月15日[1][2][3]〈1871年6月2日〉 - 昭和19年〈1944年〉2月5日[3])は、明治から昭和戦前期に活動した日本画家。本名・文治郎[1][3][4]。 群馬県吾妻郡荻生村(現・東吾妻町荻生)に生まれる[1][2][3][4]。生家は農業のかたわら酒造業を営んでいた[1][2]。地元の荻生尋常小学校を経て、中之条の吾妻高等小学校を卒業[1][2]。その後は実家で農業に従事する[1][2][3]。 父の反対を周囲が説得し[1][2]、上京して南画の大家だった滝和亭に弟子入りする[1][2][3][4]。1889年(明治22年)に榛山の雅号を与えられた[1][2]。奈良・京都の神社仏閣を巡り、古画の研究に取り組む[1][2][3][4]。法隆寺金堂壁画の修復を手がけたことで名前を知られた[1][2][3]。この名声が広がり、吉野神宮、高野山などから招かれ、壁画の修復にあたった[1]。また、切金技法の研究も行っている[1][2][3][4]。 1944年(昭和19年)に郷里で死去[3]。法隆寺金堂壁画模写は群馬県立近代美術館に収蔵されているほか[3][4]、東吾妻町立坂上小学校に収められているものは東吾妻町指定重要文化財となっている[5]。 出典 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 坂上村誌編纂委員会 編『あがつま坂上村誌』坂上村誌編纂委員会、1971年10月30日、1366-1368頁。doi:10.11501/9640456。 (要登録) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 岸大洞; 五十嵐富夫; 唐沢定市『群馬県人国記』 利根・沼田・吾妻の巻、歴史図書社、1979年、249-250頁。doi:10.11501/12260349。 (要登録) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、102頁。doi:10.11501/12189010。 (要登録) 1 2 3 4 5 6 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年3月20日、102頁。ISBN 978-4-88058-988-6。 ↑ “町指定文化財一覧”. 群馬県東吾妻町. 2025年10月31日閲覧。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集 Related Articles