大多和音吉 From Wikipedia, the free encyclopedia 大多和 音吉(おおたわ おときち[1]、1887年(明治20年) - 1957年(昭和32年)5月)は、日本の教育者。松江ミシン裁縫女学院(現・開星中学校・高等学校)創設者[1][2]。広島県出身[1]。 千葉県の道徳科学研究所専攻科卒[1]。海軍入隊の後、妻のタカとともに1924年、島根県松江市中原町に「松江ミシン裁縫女学院」を設立。道徳教育を根本として、経済的に自立できる女性の育成を目指す[1]。校主、理事長として経営にあたり、同校は「松江洋裁女学校」「松江家政高等学校」「松江第一高等学校」などの校名変更を経て1994年より、開星中学校・高等学校となっている[2][1]。 脚注 1 2 3 4 5 6 #創立者63頁 1 2 学校法人 大多和学園|開星中学校・高等学校 - 学校概要:略史 参考文献・ウェブサイト 大高利夫『学校創立者人名事典』日外アソシエーツ、2007年7月。ISBN 978-4-8169-2058-5。 学校法人 大多和学園|開星中学校・高等学校 - 学校概要:略史 外部リンク 開星高等学校 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles