1926年(大正15年)7才の時に、石垣にて「瓦屋節由来記」で初舞台を踏み、その後も子役として活躍する。
1940年(昭和15年)大阪に渡り「琉球演劇舞踊団」を結成。大阪在住の沖縄人向けに、沖縄芸能を上演した。
戦後、1946年に沖縄に戻り、1949年に「大伸座」[注 1][2]を結成。曾我廼家十吾・渋谷天外らの家庭劇の『丘の一本杉』を沖縄芝居に改作した人情喜劇『丘の一本松』で、頑固者の鍛冶屋の親父を演じて人気を博す。また、歌劇『泊阿嘉』ではアンマー(老女)役を演じた。その芸風は「小太郎芸」として親しまれた。
沖縄タイムス芸術選奨大賞、文部省地域文化功労賞、那覇市民功労賞、琉球新報賞を受賞。