1866年(慶応2年)、父・忠恕の隠居により家督を相続した。武州世直し一揆では忍藩・高崎藩とともに鎮圧のために出兵した。1868年(慶応4年・明治元年)、戊辰戦争では新政府に恭順し、忠貫は東山道総督・岩倉具定の命により、幕府脱走兵の追討にあたった。1869年(明治2年)の版籍奉還で忠貫は岩槻藩知事に就任するが、1871年(明治4年)からの廃藩置県により、岩槻藩は廃藩となり、知藩事を罷免される。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。
1908年(明治41年)4月13日に隠居し[2][3]、家督は養嗣子の忠量が相続し、同年4月22日に子爵を襲爵した[2][4]。