大島杏子 From Wikipedia, the free encyclopedia フルネーム 大島 杏子国籍 日本生年月日 (1986-08-05) 1986年8月5日(39歳)生誕地 東京都 大島杏子 選手情報フルネーム 大島 杏子国籍 日本生年月日 (1986-08-05) 1986年8月5日(39歳)生誕地 東京都所属 朝日生命体操クラブ→朝日生命学歴 藤村女子中学校・高等学校→明星大学通信教育課程コーチ 塚原千恵子引退 2012年11月 獲得メダル 体操競技 アジア大会 銅2006女子 ゆか 銅2006女子 団体総合 銀2010女子 団体総合 ジャパンカップ 銅2009女子 団体総合 銀2010女子 団体総合 テンプレートを表示 大島 杏子(おおしま きょうこ、1986年8月5日 - )は、日本の元体操選手。東京都出身。朝日生命体操クラブ出身。朝日生命所属。 藤村女子高等学校、明星大学通信教育課程人文学部心理・教育学科卒業 [1]。得意種目はゆか。コーチは塚原千恵子。 体操を始めたのは6歳 (1992年)から。きっかけは幼少の頃に見たサーカス。 2002年-NHK杯個人総合で初のタイトルを獲得。世界選手権(デブレツェン)に初出場を果たす。 2003年-世界選手権(アナハイム)に出場するも、アテネオリンピック団体出場権を逃す。 2004年-アテネオリンピックに個人総合で出場するも、腰痛(椎間板ヘルニア)が原因で予選落ち。 2005年-世界選手権(メルボルン)では個人総合決勝に進むも、19位と散々な結果に終わる。一度は引退を考えたが、その悔しい経験から現役続行を決意。 2006年-世界選手権(オーフス)に出場も、個人総合で34位と振るわず、前回に続いての決勝進出を逃すが、アジア大会(ドーハ)では団体と種目別のゆかで銅メダルを獲得。日本人選手のアジア大会における女子体操個人競技でのメダル獲得は1998年のバンコク大会で菅原リサが種目別ゆかでの銅メダル以来2大会ぶりの快挙を成し遂げ、エースとしての面目を保った。 2007年-世界選手権(シュトゥットガルト)に出場。団体で12位に入り、目標としていた北京オリンピックの団体出場権を獲得[2]。「直前の練習で左足首をねんざしたけど、大事な試合なので絶対出たかった。世界選手権も5回目なので、自分がカバーしないといけないと思っていた。目標は一つだったので、みんなでカバーできた」と涙ながらに喜びを表した。 2008年-NHK杯個人総合で2度目の優勝を果たし、復活。2大会連続でオリンピック代表に選出された。北京オリンピックでも安定した演技でロサンゼルスオリンピック以来となる団体総合での5位入賞に貢献。個人総合でも決勝進出を果たし、20位の成績を修めた。 2009年-自身6度目となる世界選手権(ロンドン)に出場も、種目別のゆかと段違い平行棒の予選でミスを犯し、予選落ち(個人総合予選は122位で予選落ち)。試合後、「情けない。自分が甘かった」と悔し涙を流し、「こんな気持ちでは辞めたくない。3年後にリベンジすることに決めた」と現役続行を表明した。 2010年-通算7度目となる世界選手権(ロッテルダム)代表に選ばれる。怪我のために団体のメンバーに入ることはできなかったが、クラブの後輩でもある鶴見虹子ら他の選手をサポートし、団体総合の5位入賞を陰で支えた。同年11月のアジア大会(中国・広州)では団体総合で銀メダルを獲得し、自身にとって2大会連続のメダル獲得となった。同年12月の全日本種目別では段違い平行棒で優勝。自身の競技生活で唯一の全日本タイトル獲得となった。 2011年の世界選手権でロンドンオリンピックの団体出場権獲得に貢献したものの、2012年、オリンピック代表を逃したことから、同年の全日本団体・種目別を最後に現役引退を表明。20年の競技生活にピリオドを打った。今後はアメリカに渡り、指導者を目指すという。 脚注 ↑ “私と明星大学 指導者として、 夢は、もういちど五輪へ | 明星大学”. www.meisei-u.ac.jp. 2022年11月29日閲覧。 ↑ 女子の体操代表がオリンピックの団体出場権を獲得したのはアトランタ以来3大会ぶり。 外部リンク 北京オリンピック2008 大島 杏子(体操・体操競技)プロフィール - JOC 大島杏子さん|私と明星大学|明星学苑 大島杏子 - 国際体操連盟のプロフィール (英語) 大島杏子 - Olympedia(英語) 表話編歴NHK杯体操選手権女子優勝者1960年代 1962 白須俊子 1963 辻宏子 1964 池田敬子 1965 渋谷多喜 1966 渋谷多喜 1967 渋谷多喜 1968 三栗多仁子 1969 小田千恵子 1970年代 1970 小田千恵子 1971 松久ミユキ 1972 平島栄子 1973 平島栄子 1974 A.ヘンマン 1975 広中ミユキ 1976 岡崎聡子 1977 岡崎聡子 1978 野沢咲子 1979 加納弥生 1980年代 1980 加納弥生 1981 加納弥生 1982 加納弥生 1983 森尾麻衣子 1984 森尾麻衣子 1985 信田美帆 1986 森尾麻衣子 1987 信田美帆 1988 信田美帆 1989 真田マキ子 1990年代 1990 小菅麻里 1991 小菅麻里 1992 小菅麻里 1993 小菅麻里 1994 菅原リサ 1995 小菅麻里 1996 菅原リサ 1997 菅原リサ 1998 菅原リサ 1999 山脇佳奈 2000年代 2000 山脇佳奈 2001 佐原礼香 2002 大島杏子 2003 石坂真奈美 2004 石坂真奈美 2005 石坂真奈美 2006 石坂真奈美 2007 鶴見虹子 2008 大島杏子 2009 鶴見虹子 2010年代 2010 鶴見虹子 2011 鶴見虹子 2012 田中理恵 2013 寺本明日香 2014 笹田夏実 2015 杉原愛子 2016 寺本明日香 2017 村上茉愛 2018 村上茉愛 2019 寺本明日香 2020年代 2020 新型コロナウイルスの影響により大会中止 2021 村上茉愛 2022 宮田笙子 2023 宮田笙子 2024 宮田笙子 2025 杉原愛子 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles