大庭政世
From Wikipedia, the free encyclopedia
明治15年(1882年)、鹿足郡須川村(現・津和野町)の小山家で生まれた。
明治35年(1902年)に京都府立農学校を卒業、明治36年(1903年)、愛知県立農事試験場技師に就任[1]。
明治40年(1907年)、青原村(現・津和野町)の大庭家の養子となる。
明治41年(1908年)、帰郷[1]。青年団運動に身を置き、養鶏、養蚕などの新しい技術を取り入れたことが青年団の人望を集める。
大正7年(1918年)、青年団に押された形で青原村産業組合長に就任[1]。大正8年(1919年)、信用事業単営の産業組合を信用・販売・購買・生産の4種兼営に切り替えた。そして、地方開業医の反対を押し切って日本初の産業組合による医療事業を生産部事業として開始した。
昭和5年(1930年)、日原町(現・津和野町)に石西購買利用組合共存病院が完成。青原村産業組合診療所は実質的に引き継がれた。彼は,その石西購買利用組合の理事長として活躍した。