関兼貞の三女とされ、豊臣秀吉にとっては母方の叔母に当たる 。青木重矩に嫁ぎ一男青木一矩をもうけた。
史料に「われらおは(我ら叔母)のきのかみ(紀伊守・青木重矩)はは(母)」[2]、「其(青木重矩)室は尾州愛知郡に住したる関弥五郎兼員の三女」とある。『明智軍記』には、十七歳となって武家奉公を志した秀吉が、叔母である『清洲の工人青木官兵衛の妻』にそのことを話し、その志を喜んだ彼女は秀吉の衣服を用意したとある。
浄土宗大恩寺(左京区東大路)は天正13年(1585年)、秀吉が叔母の大恩院を弔うために二条室町に建てたものである[3]。
天正13年(1585年)死去。法名 大恩院日陽慶春。