大曲駒村
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上京、関東大震災ルポ
福島県相馬郡小高町(現・南相馬市)に生まれる[2]。1892年、小高小学校を卒業し[2]、福島県尋常中学校(現福島県立安積高等学校)へ入学するも病気退学[2]。
1900年、小高銀行に就職[2]。1901年、友人の鈴木余生と俳句グループ「渋茶会」を結成し、俳句を始める[2]。1906年、余生が死ぬと新たに「浮舟会」を結成し、明治20年から30年代に正岡子規と一門らが始めた俳句・短歌の一大革新運動にも参加。1911年、福島県に関連する句を選び出した『雙巌集』を刊行[2]。小高俳壇草創期のリーダーであった[2]。
1917年、小高銀行が倒産して失職する[2]。後に山入銀行仙台支店に勤務し、福島支店長代理、営業部長に転じる。この頃、自選句集『枯檜庵句集』を刊行[2]。
1921年、上京して安田銀行浅草支店長に就くが、1923年関東大震災に遭遇する[2]。東京市内の罹災地を徒歩で見聞した惨状をわずか1週間で書き上げ、最初の大震災ルポルタージュとして『東京灰燼記』を震災の1か月余り後に刊行した[2]。
のち安田貯蓄銀行田島町支店主任から大崎支店長となる。
銀行を辞職、浮世絵と古川柳に専念
1926年2月に辞職後、『浮世絵志』を主宰[3]。同年『誹風末摘花通解』を刊行し[2]、古川柳を研究する[4]。
1939年、『川柳辞典』第1巻を配本する[2]。多くの先人が挫折し、出版社も尻込む困難な事業であったが、資金調達、編集、校正すべてを駒村一人でやり遂げた。斎藤昌三は「後世の江戸文学研究家のために不滅の金字塔を築いた」と評している[4]。
