大橋 (大橋川)
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
大山寺縁起によると、南北朝時代には当地に白潟橋という橋が架かっていたとされる。関ヶ原の戦いのころには、カラカラ橋という竹の橋が架かっていた。1607年、堀尾吉晴が松江城建築のために架橋工事を始め、翌年、初代にあたる153mの木の橋が完成する。北の末次と南の白潟の間にある唯一の橋として使われ、他の所属の船は南詰の渡海場(船着き場周辺)で必ず荷物を降ろさなければならなかった。
京極忠高が架け替えた(1637年)後、3代目(1660年)には元明、4代目(1685年)には玉大、5代目(1709年)には蓮台と名付けられた。14代目(1847年)では、正式名においても大橋となり、小泉八雲は「毒をもたないムカデのよう『知られざる日本の面影』」と表現した。15代目(1891年)では、近代的な鉄製トラス橋となった。16代目(1911年、鋼桁橋)完成の翌年、橋の北詰にはこの地方では初となる電信局が開設された。1929年(昭和4年)12月29日、発動機船が橋脚に衝突して床板が落下[1]。1934年(昭和9年)3月16日にも同様の事故があり橋の中央部が陥落した[2]。1937年(昭和12年)に今日ある橋が架けられた。