富山県滑川市出身。東京文理科大学教育学科卒。1945年青森青年師範学校講師、46年助教授、47年教授、1949年東京高等師範学校助教授、1952年東京教育大学助教授、66年教授、1962年「ジョン・デューイにおける初期教育思想の形成 実験主義教育思想の成立過程」で東京教育大学文学博士。1974年埼玉大学教育学部教授、84年定年退官、創価大学教授ののち[2]、山梨県立女子短期大学長を歴任。専門は、教育哲学、デューイ研究。
東京教育大学在職中、筑波移転に反対し、その意思を表明する意味で埼玉大学に移籍した。日本デューイ学会会長、教育哲学会理事長などを務めた。