大矢馬太郎
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中村俊太郎の伯父として[6]、現在の盛岡市[1]馬場町(馬場小路[4])に生まれる。のち大矢五蔵の養子となり家督を相続する[6]。1888年(明治21年)7月[4]、岩手県中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を卒業し、盛岡市参事会員を経て、1907年(明治40年)11月、盛岡市長に就任[1]。1910年(明治43年)8月、市長の座を退き、岩手県会議員、岩手県参事会員、盛岡市会議員、同議長などを経て、1916年(大正5年)12月、補欠選挙[7]で貴族院議員に当選し[1]、同年12月26日[8]から1918年(大正7年)9月28日まで在任した[5]。1917年(大正6年)4月、盛岡市会議員に再選し、同議長、岩手県会議員、同議長などを経て[1]、1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から立憲政友会所属で出馬し、薨去した原敬に代わり補欠当選し[9]、1期務める[3]。1934年(昭和9年)6月、盛岡市長に再選し[1]、2期目在任中に死去[2]。初の盛岡市葬が執り行われた[4]。

