大石綱元 From Wikipedia, the free encyclopedia 大石 綱元(おおいし つなもと、天文元年(1532年) - 慶長6年1月12日(1601年2月14日))は、戦国時代の武将。上杉景勝の家臣。 官位は播磨守[1]。別名は兼綱。 武蔵国出身。父は大石綱資(元興)。大石吉綱の養子。武蔵の守護代を務めた大石氏の一族とみられる。 はじめ上杉憲政の家臣だった[1]。憲政が越後に逃れると、それに従い、憲政の死後は景勝に仕えた[1]。 慶長3年(1598年)、上杉氏が会津に転封した際には保原城城代を務める[2][3]。知行高は5500石だった[3]。 直江兼続の下で、安田能元、岩井信能と共に奉行として国政を補佐し、会津三奉行と呼ばれた[1]。特に街道や城下整備などの土木建築分野を得意としていた。 子孫 子孫に上杉斉定治世下の奉行である大石綱豊らがいる。 脚注 1 2 3 4 米沢市史編さん委員会 1991, p. 79. ↑ 米沢市史編さん委員会 1991, p. 75. 1 2 米沢市史編さん委員会 1991, p. 78. 参考文献 米沢市史編さん委員会 編『米沢市史』 第二巻《近世編1》、米沢市長、1991年3月30日。NDLJP:9572114。 (要登録) 外部リンク 大石綱元 - Webcat Plus この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles