大神比義

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大神 比義(おおが の ひぎ[2])、または大神比義命(おおがのひぎのみこと)[3]は、古墳時代の人物。宇佐八幡宮を創建し、日本で初めての職(神職)に任ぜられ、宇佐八幡宮初代大宮司となった。また、大神氏の祖である[4]

『八幡宇佐宮御託宣集』には、

欽明天皇三十二年(571)辛卯、八幡大明神、筑紫に顕れたまふ。 豊前国宇佐郡厩峯菱形池の間に、鍛冶の翁有り。首甚だ奇異なり。これに因って大神比義(おおがのひぎ)、穀を絶つこと三年、籠居精進して、即ち幣帛を捧げて祈って言く。「若し汝神ならば、我が前に顕るべし」と。即ち三歳の小児と顕れ、竹葉に立ちて宣く。「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりきじんつうだいじざいおうぼさつ)なり。国々所々に、跡を神道に垂れ、初て顕るのみ。

と記され、八幡大神が顕現し、比義がそれを祀った経緯が記されている[5]

宇佐八幡宮内にある大神祖神社に大神比義命として祀られている。

大神杜女(おおがのもりめ)は比義の子孫である[6]

歴史

件大菩薩是亦太上天皇御霊也、即磯機島金刺宮御宇、天国排開広庭天皇御世、於豊前国宇佐郡馬城峰始現坐也、爾時大神朝臣比義以歳次戊子始建鷹居瀬社、而即奉祝孫夕字、更改移建菱形小椋山社、即供其祝[7][8][9][10]


訓読文:欽明29年(568年)応神天皇を馬城峰に顕し、鷹居瀬社の祝として奉じて、菱形小椋山社に移り祝となる。

と八幡神の発生についての最も古い史料、弘仁官符に引用された大神清麻呂解状に初めて八幡神大神比義命が見える。[11][9][10][7]

系図

関連項目

脚注

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