大籠キリシタン殉教公園
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大籠キリシタンの歴史
江戸時代、大籠の一帯は仙台藩の領内であり、たたら製鉄を行う地として栄えていた。たたら製鉄を行う製鉄所は「烔屋(どうや)」と呼ばれており、この烔屋を経営していた千葉土佐が、製鉄の技術指導のために備中国(現在の岡山県)から千松大八郎・小八郎という兄弟を招き、最初に桃生郡で烔屋を開いた[2]。この千松大八郎・小八郎兄弟がキリシタンであり、大籠で布教を始めた。また、フランシスコ・バラヤス神父がこの地を訪れ布教にあたり、大籠のキリシタンはさらに増加した。だが、キリシタンの迫害はこの地にも迫る。寛永16年(1639年)から数年間で300人以上の信者が処刑されたと言われている[3]。キリシタン改めを行う台転場がもうけられ、そこで踏み絵などが行われた。キリシタンであることが判明すると、打ち首や磔などにより処刑された。
1967年(昭和42年)11月、千松の大穴沢という場所で、キリスト復活の絵をアコヤ貝に彫刻したメダイが発見された。このメダイは、鑑定の結果、16世紀後半に作られたものだと判明した。
園内施設
周辺の史跡・関連施設
- 大籠カトリック教会
- 台転場
- 大柄沢洞窟:
- 地蔵の辻:刑場跡。寛永16〜17年に178人がここで殉教した。
- 上野刑場:刑場跡。現在は供養碑が建てられている。寛永17年に94人がここで殉教した。
- トキゾー沢刑場
- 祭畑刑場
- 首実検石:監視役がこの石に座り、地蔵の辻で行われるキリシタンの処刑を監視したと言われる。
- 上袖首塚
- 保登子首塚
- 山神
- 架場(はせば)首塚
