孝謙朝末の天平勝宝8歳(756年)4月から淳仁朝初頭の天平宝字3年(759年)12月にかけて写経所の校正に従事した記録があり、天平勝宝8歳(756年)大初位下、天平勝宝9歳(757年)大初位上、天平宝字3年(759年)従八位下の位階にあった。
光仁朝後半の宝亀9年(779年)渤海使・張仙寿を渤海に送り届けるための送高麗客使に任命される(この時の位階は正六位上)。しかし、彼が実際に張仙寿らに同行して渡海したかどうかはっきりせず、その後の昇叙が遅れているところから、発遣が中止された可能性がある。
桓武朝の延暦8年(789年)正月に韓国源・秋篠安人とともに外従五位下に昇叙し、3月主計助に任ぜられている。