高槻シニアから北照高へ進学。3年春は道大会優勝、夏は南北海道大会ベスト4[1]。1997年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け[2]、12月3日に契約金5000万円・年俸500万円(金額は推定)で仮契約を結んだ[3]。背番号は54[4]。
小気味良い守備とシュアな打撃が売りの内野手として期待され1998年ファーム日本選手権制覇に貢献や1999年横浜スタジアムでのフレッシュオールスターゲームイースタン・リーグ選抜選出果たしたが、そのセールスポイントも肘の故障のため発揮出来ず、結局一軍出場のないまま2001年10月11日に戦力外通告を受け[5]、現役引退。
引退後は料理店でアルバイトをしながら専門学校の学費を貯め、消防士を目指した[6]。